はじめに
こんにちは!
今回は対話形式で「一秒の価値」について考えてみたい。
一秒と言えば、「あっ」って言ってる間に終わってしまうくらいにとても短い時間です。
たった一秒だけでは、何の価値もないでしょ?
だって、どこかに旅行に行くなら、一秒じゃむりだし。美味しいご飯を作るのにもそんな短い時間じゃ食材を切ることさえ出来ない。
友達と遊ぶのだって、一秒じゃ全然もの足りないよ。
だからもっと、沢山時間があれば海外旅行に行ったり、友達とキャンプに行って楽しいおもいでだって出来るのに。
お金を持っている人達は、あんなにも優雅な生活をしているのはきっと沢山時間があるからだ。
そうだ。それに間違いない。
とそんなことは当然にあるわけものない。
特別な人でもない限り時間30時間も与えて貰えるみたいな事はまず起こり得ない。
なぜなら、時間は限りがあるもので。
何よりも誰にでも同じように流れているものだから。
じゃあさ、一秒なんてそんな短い時間になんの価値があるっていうのさ?
記憶のつながりある
一秒というのは、確かに本当に短い時間である。それは、確実に言える事でもある。ここで少しだけ話が変わるが人間の記憶は何秒くらいを記憶していると思う?
それは、5秒くらい?いや20秒くらい?
どっちも違う。
正解はコンマ0.3秒くらいである。
コンマ0.3秒?そんなに、短いんじゃ見たのかどうかも分からないよ。
たしかに。そこだけならそうかもしれない。でも実際には、多くのもがそんなスピードで動いているわけじゃないからその場である程度とどまっているはず。
という事は、対象物を何秒か目視している。
人間の記憶というのはコンマ何秒のコマを幾つものつなぎ合わせで出来ている。
例えば、友達と温泉旅行に行った時に猿と一緒に入っていたね。みたいな記憶も何枚かフィルム写真の繋ぎ合わせて一つの動画の記憶して思い出として残っていくのである。
つまりは、一秒が幾つも重なって人の記憶というのは出来上がっている事が言えるから「一秒」というものがとても大切なんだ。
短い時間を勉強で活かす
これは、勉強の場面でも大切になってくる考え方でもある。
例えば、テスト勉強をしいてる際。始めは、集中して行っていたものの途中で集中が途切れて、ついスマホに手を伸ばしていたらいつの間にか30分も時間が経っていたなんてことは、誰もが経験あると思う。僕自身がそんな事を繰り返していて結局、一夜づけの勉強を繰り返していたから。
人間は、一度集中が途切れただけでそれを戻すのに30分の時間が必要になってくる。
だからその後に勉強に戻って、なんとなく開いた教科書を見て、実際のテストになると全く分からない!ってことはザラにあった。
それも記憶が上手く結びついていなかったんだなと大人になった今なら納得のいく話だ。
国語の勉強をしていたはずなのにお笑い番組を見ていては、繋がらない。
思い出してみても何がなんだか。
ふとっ思ったことがある。
それは、全然関係ないものが繋がれば,問題ないんじゃないのか?
例えば、
歴史を学ぶ時に教科書が飽きてきた。と感じたらその歴史に近いアニメを探して30分じっくり見てみる。
数学が苦手なら(僕も苦手なジャンルです)体を動かしてみる。散歩をしながら目についた物の体積を考えてみる。目的地までいくのにどのくらいスピードであるけば昨日よりも早く到着することが出来るのか考えてみる。
物事は、一見すると何のつながりがないと感じるものでも見方を変えて、見れば思わぬ共通点があったりする。
そんな風にしていけば、集中が途切れてしまった一秒も繋がって役に立つ可能性がある。
大切なのは、その一秒間の積み重ね
自分がなんとなく過ごしているその一秒間には無限の可能性があってとても大切にしなければいけない。
なんとなく暇だからテレビでも見て…
あ……気がついたら一日が終わっていたな。
歳を重ねて自分には、もうそんなにも残されている時間がないから…
重ねれば重ねる程に人生はいいものになっていく。
それは、あなたが今まで生きてきた一秒間が繋ぎ合わされて、自分だけにしかない大切な思い出として記憶しているから。
これまで何のいいこともないって言って人でも、必ずそんな事はないと言える。
この世に生まれたことがすでにいいことで、その人生はあなただけ。
小さな小さな事の積み重ねで今があるんだから。
意外と対話形式で進めてみるのもわるくないな。
まとめ
- 人には、たった一秒でも記憶には大切
- 集中が途切れたら戻すのに30分は必要
- 別のもの上手くつなぎ合わせれば集中が途切れた一秒も無駄にならない
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